2022/01/07
誰かの会話だったり、SNSの投稿を見ているといつも否定から入る人がいる。
かと思えば誰かの不満ばかり言っている人がいる。
SNSのニュースのコメント欄が否定的な話や攻撃的な話で埋め尽くされるなんてことも多い。
世の中や、他人や、家族や、自分の置かれた状況に不満は誰にだって少しはあるだろう。
私だって沢山ある。
そういうのを吐き出されているところを見たり聞いたりすると残念な気持ちにしかならない。
出してる人はそんなことは知ったことではないだろう。
そんなことを言っていても始まらないとは分かっているのかもしれない。
でも、それでは前に進めないのだ。
吐き出したものは少なからず自分の周りに同じベクトルで影響を与えていくものだから。
嫌なことや怒りは我慢せずに吐き出したほうがいいという人もいるが私はそうは思わない。
そういう人は否定する気は無いが少なくとも私には吐き出すことは悪影響しかない。
人の心は良いも悪いも増幅器。
だから心の向きを変えよう。
さて、そういう私も思春期の頃はいつも誰かや何かのせいにしていた。
自分がこんななのは生んだ親のせい、家庭環境のせい、こんな田舎に生まれてしまったから・・・。
小さなころに心の闇を背負ってしまった私はそれを振り払うように腐った心を育てていった。
しかし、生まれつきなのか育ちのせいか超内向的に育ってしまった私には外に向かってそれを発散するようなことにはならなかった。
俗にいう反抗期の小学終わりから中学生になりたての頃だろうか。そのころは、母親にだけは反抗心を出していた。たぶん唯一出せる存在だったのだろうと思う。私にとって反抗心を出せるところは母親と二階の壁だけだった。
中学に入ってから内向的なこともあり、イジメの標的になった。どんな感じでやられていたかは全く覚えていない。記憶なんてそんなものなのだろう。もしくは余りにも苦痛だったことは忘れてしまうようにできているのかもしれない。とにかく毎日学校に行くのが苦痛だった。でも、登校拒否なんて勇気は無かった。死んだら楽になるかなとも思っていた。モチロン死ぬ勇気も無かった。
それでも嫌で嫌でしょうがない毎日を解決する方法を見つけた。
そのころ私は内向的だったけど、外に出さないすぐキレる子供になっていた。
外に対する攻撃的になれる自分のことは分かっていた。心の壁を取り払えばできると思った。
やってやろう。そう思った。
しかし、その頃の私は今からは想像がつかないヒョロヒョロで骨と皮だけの体力がなく運動が苦手な子供だった。運動は好きだったのにとにかく力が無かったので上手く体が動かせ無かったのを覚えている。小学生の時に雲梯のテストがあり、片手を離した途端に落ちて顔と手が傷だらけになったことがある。中学生になってから別な友達からコンニャクと言われていたこともある。いつも鏡を入ると胸にアバラ骨が浮いて見えるのが嫌だった。当然、反抗して喧嘩なんかしても勝てそうも無かった。
何か学校に武器を持っていこうとも本気で考えていた。
でも、結局それはしないうちに、やられている時に頭の中で何かがキレた。
殴りかかっていた。でも、ボコボコにされた。
あれからしばらくは顔面が試合後のボクサーのような状態で学校に行っていたと記憶している。
でも、それ以降やられることは無かった。
その時、良くも悪くも少しづつ色んな心のスイッチが入ったと思う。
心の向きを変えた一つの出来事だったと思う。
とにかく、心も体も自分を変えたかった。でも、心の闇はナカナカ消えるものでは無い。
コンプレックスの塊の人間から抜け出すのに必死の少年時代だった。
その辺の話しは又、次回・・・。
中一の頃。今も交流がある人だけ顔出してます(笑
したっけの。