2022/01/07
私は田舎の小さな街の生まれだ。
だから子供の頃は隣の隣の町の旭川に行くのは冒険だった。
札幌の親戚の家に行くのは海外旅行のような気分だった。
大人になって東京に就職した時にいかに自分の世界が狭かったことを感じた。
さて、今は心の部分でもっと広い世界で生きていることを感じている。
日本中に友達ができているし、自分の中で雲の上の存在だった人に会えるようになった。
そんな感覚が分かってきたので世界を股にかけている人はもっと大きな世界で生きているんだろうなと思う。
冬季オリンピックを見て普通に隣町とか近所の学校に通ってた人がオリンピック出てるくらいでそんな生き方も実は身近なところにあることを感じさせられる。
あ、私も数人ですが他の国に友達がいてSNSで時々投稿を見て懐かしい気分になったりしますけどね。
そうやって自分の生きる世界をいくらでも広げられる時代になったと思う。
それでも同窓会なんかで昔の友達にあったり、自分の子供の友達の話を聞いたりすると、すごく狭い世界でしか生きていない人がとにかく沢山いる。
凄くもったいないと思うけどこれは感覚的な問題なのでそうやって刷り込まれてしまっている人には説明したところで分かってもらうのは難しいんだけどね。
そんな人にとってはテレビの中の人達、最近の子供たちにとってはネットの中の人達とかは自分とは交わることもない人種なんだと思っていることだろう。
そんな人達だって実はそれほど遠い存在で無いことは生きている世界が狭いと感じることはできないだろう。
まずは自分の生きる世界を広げる感覚を持つ。
それだけでも見える世界は変わってくるはずだ。
若いうちにそれができるかどうかで人生は大きく変わるんだろうと思う。
そういう感覚を若いころに作れれば良かったんだけど、後悔してもしょうがないことだので今は精一杯自分の生きる世界を広げている真っ最中なのでした。
そんなことを思っていたら、大杉漣さんが亡くなったというニュース。
ウチの奥さんが大好きなドラマの「相棒」はどうするんだって話し程度でウチは盛り上がっていたのだが、心の師匠の一人のてんつくマンがブログで大杉漣さんとのエピソードを書いていて涙。
遠いテレビの中の人だったけど心の距離は一気に近づいき悲しみが大きくなった。
世界は自分が思うより全然狭いようです。
勝手に広げているのは自分なんです。
思うことって深いなと思う。
したっけのー