2022/01/07
誰にも怒りの感情はあるものだ。
まったく表に出さない人は上手く消化する方法を知っているのだろう。
どちらかというと私も青年時代から若いころにかけては短期で怒りの沸点は低かったと思う。
でも、対外的には色々考えて自分を押さえつけていた。
怒りの原因は大抵誰かの行動が、自分の行動や感情の邪魔をされた時だろう。
人は自分を否定されることを嫌う。
そして、自分が愛するもの、自分がひいきにしているもの、自分が所属しているものを否定されるのを嫌う。
誰かを守ろうとしているなら尚更怒りのパワーを肯定し、増幅させることを自分の中で肯定してしまっていることだろう。
PTAに出席していると校長や教頭と話す機会が増えたので、学校へのモンスターペアレントの話も聞くことがある。
それはまさに愛を持った空回りで怒りを増幅させているのだろう。
でもその向こうにある答えは何だろう。
思ったような状態になったとして果たして満足するのだろうか。
人と人の関係なのだ。
怒りの後に、そこから改めて和気あいあいと楽しくやることなんて無理だろう。
その怒りは一体なんのためなのか。
誰かの怒りの感情は自分も含めて周りのみんなの感情に蓋をするものだ。
自分が本当に大切な想いはどこにあるのか考えてみよう。
自分の考えを押し通して気持ちがいいのはその時だけだ。
「なかよく、なかよしに」
したっけのー。