2020/10/13
先日のイベントの時のこと、私のブースの目の前は小さな子供たちが乗り漕いで進む玩具というか乗り物を提供しているコーナーだった。
そこで遊ぶ子供と親と思われる人たち。
乗っている子供が操作して前に進めるようなものもあり、それは左右に曲がる操作をするのももちろん乘っている子供たち。
そこで遊んでいた一組の親子の動きが少し気になった。
乗っていた子供はそこそこ操作できるような年齢だと思ったのだが、子供が玩具に乗って進んだ先に椅子やテーブルがあったのだが、そのお母さんと思われる人は子供の先にあるテーブルや椅子をぶつからない様に退けたのだ。
きっと何気ないことなのだろう。
でも、目の前で見ていた僕には他の親子との動きの違いを感じた。
多くの親や人がいない限りなるようになるまで見守ったり、一緒に操作をして誘導したり、口でコッチヘ行けと言ったり、それらの時は気にならなかった。当たり前に見えていた。
でも目の前を障害物を除けた親子のことが気になった。
あ、と思った。
自分が幼少期の頃を思い出した。
私は初めての子供。
母親は当時二十歳そこそこ。
凄く小さい頃の記憶は目の前で母親が何でもやってくれていた。
特に外に出ると過保護だった。
たぶん母親はそんなことも思ったこともないだろうし、記憶もないだろう。
でも私は物心つく頃の記憶は、一人何かをするのが怖いだった。
何かをするには凄く勇気が必要だった記憶がある。
そして、そんな幼少のころ定着した思いが後々大人になるまで引きずっている。
それは私にとって新しい何かをする時に乗り越えるべき小さな引っ掛かりの一つだ。
幼少期までに植え付けられた思いは大人になってからも潜在意識の中で影響を与えているという。
親が何気なくやっていることが子供には大きなことになるかもしれない。
そんなことを思った出来事だった。
したっけのー。